山椒魚は悲しんだ。


旧帝大の講座の 助教として赴任してはや三ヶ月。独立ポジションを諦めてnon-PIの助教として過ごした感想でも綴りますか。


着任したのは理学部化学科の合成をしないラボ。装置を自分たちで組むレベルの計測ガチ勢のラボで、その計測のエンドユーザーかつ合成ができるという点で採用されました。自分次第ですが、うまくやれれば先端計測と新規物質の合成もできるめちゃ魅力的なラボになります。


研究室の雰囲気は極めていい感じ。教授と准教授の先生は穏やかで研究熱心、学生も真面目に研究をしていて、文句なくいい雰囲気です。


すごくいいポジションだと思うし、いい研究をするチャンスだとも思い、一生懸命に頑張ろうと過ごしています。しかしながら、比較論でこれ以上ないほど良い講座制の助教ポジションについても、たまーに虚無感というかネガティブな感情が襲ってきます。


自分が30過ぎていてラボでの経験も10年以上になるのに、まだ下っ端。先生2人、学生15人がいるラボに新参者として色々と合わせるように生活をするのがすごく苦痛に感じることがあります。修行が長いことで知られる一流寿司屋だって「飯炊き3年握り8年」とよく言われ、11年経てば独立です。ここから助教と准教授も教授の下でやったら修行が20年になっちまうぜ!


既存のコミュニティに溶け込むのは別に難しくはないですが、研究が絡むと少しややこしくなります。自分もある程度のプライドはあり、やりたいことがあっても、着任後に見る学生のテーマは自分の関与しないものばかり(当たり前ですが…)。そのミーティングに結構な時間を持っていかれて、自分のテーマをやる学生もまだいないので自分で合成して…あれ、これじゃあミーティングと雑用が増えたポスドクみたいじゃんと気づいてしまいました。


周りの目や評価を気にしてビクビクしながら、隙間の時間を縫ってなんとか研究を軌道に乗せる。


こんなんでいい研究が生み出せるのかなあ…


まぁ、うまいことやるしかないんだけどさ。


スイス時代の友人が自分のラボを持ってPhDの学生とポスドクを雇う情報をXで拡散してたりするのを見ると、やっぱり海外で何としても独立ポジションをとる方がいいよなーと思うのであった。


こういう意見ってブログには書けても、現実で口に出したらいけない空気みたいなものがある。そんなふうに若手が空気を読んで過ごしてる間は、研究の停滞は続くと思う。上の先生たちはそんなのは言い訳だ、自由にしていいと言ってるとのたまうかもしれない。


そう言われたとしても、やっぱりなーんか息苦しい気がする。


特に誰かが悪いとか嫌いとかいうわけでもなく、普通にいい雰囲気のラボでも、助教ってそういうふうに感じることがあるんだよ。誰かわかってくれるかな?自分が偏屈なだけなのか?