用意された心
ノーベル化学賞を日本人が取りましたね。その北川先生は折りに触れて、Louis Pasteurの格言「幸運は用意された心に宿る」という言葉を説いておりました。まぁ、会ったことも喋ったこともないけど。(すっとぼけ)
研究を始めた4年生くらいの時からこの言葉を意識し始めました。この言葉の意味は、なんとなくわかる。不断の努力をしていないと、すごい発見が現れても見逃してしまう的な意味であると。
いやでも待てよと、じゃあ努力しているだけでいいのか?ここでいう用意された心ってなんぞや。について今日は考えていこう。考察する助教である。
さて、目の前の研究を一生懸命する人は本当にたくさんいる。では、その人たちがそのまま研究を続けていたら、ものすごい発見がやってきてそれを捕まえられるのだろうか?自分はそうは思えないかな。そりゃあそうだろうみたいな研究を心血注いでずっとやっている人って結構多いと思う。
これは直感的に準備された心ではありそうだが、実際のところ自分の見た偉大な研究者たちとは、結構違うメンタリティだ。
自分の見てきた偉大な研究者は、大きな声で露わに主張したりはしないが、1)重要だと思う研究課題に取り組む、2)オリジナリティに尋常じゃないこだわりがある、3)知識の吸収に貪欲で広い視座を崩さず他者の話をよく聞く、という点で"ただ一生懸命な研究者"とは全く違って見える。
書かれてみると研究者ならそんなもん当然でしょ、って思われるかもしれないが、これは意外と難しい。まず、①と②が相反する特性を持つ。重要な研究課題とは、言い換えると、今注目されているにせよされてないにせよ、みんなが気になったり社会が解決して欲しい点である。必然として取り組む研究者も多くオリジナリティを発揮しにくい。そこで極めてオリジナルな提唱を行う。それは流行りが好きとか、ただオリジナルなものが好きとは明確に異なる属性である。
また、②と③も意外と両立する人は少ない。中途半端にオリジナリティを追求する人は、他人の研究に我関せずみたいなところがある。他の人の研究を知らなければ、オリジナルな研究だと思いこむことができるのだ。逆に色々な研究を知るのが好きな視野の広い研究者は、ともすれば影響を受けやすく、気に入った他の分野から影響を受けた足し算みたいな研究を展開することが多い。これがすごい発見につながらないのは、そういうことを考える人が結構な数いるからだろう。
①と③も不思議や不思議、流行りのことに取り組んでいる人ほど、視野が狭くその分野のことしか知らないことが多い印象がある。テーマ選びの段階でいい課題を見つけられて慢心しているパターンなのかなあ。他の周辺分野の常識すら知らずに、流行りの分野内のことばかり知っている。
そんな中、この三つを強力に魂に誓っているように見えて、それなのに、ものごっつい頑固なわけでもなく、むしろ物腰柔らかで人を惹きつける。でもその背中にはバリバリすごいオーラが出ている。そんな人たちと喋ると自分の魂が揺さぶられて、心に火が点る。そんな人たちがトップ研究者だ。
これが用意ざれた心ってことなら、この言葉だけじゃ伝わらないよね笑
キャンパスにコウモリ落ちてた。🦇
良いお年を

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