特命助教として日本に帰国して5ヶ月が経ちました。


着任したばかりですが、任期がある特任ポジションなので、着任した大学の先生たちは、いいポジションや公募の話があったらいつでも出していいよと言ってくれていました。この発言、本心かどうかはわからないです。でも、実際任期付きかつ業績を競わせてるんだから、いいポジションに移ることに関して後ろ指をさされるのは変だという信念から、文字通りに受け取ってます。


そんななか、4月にとある旧帝国大学の助教ポジションで、海外経験のある人を探していると言う情報を聞きました。

着任早々なのもあり、ものすごく出すか迷いましたが、出してみることにしました。


書類を出して二ヶ月、なんの音沙汰もないので落ちたなーって思っていたら、6月中旬になって面接の連絡が、7月の初旬に面接を受けてきました。


その研究室の教授は知ってはいるものの、喋ったことがない先生で、僕が合成から物性測定までを手広くやるのに対して、その先生のグループは先端計測がメインであまり自分の強みとマッチングはしていない感じでした。


面接前に少しPC接続の時間があったので初めて喋ると、天気の話題に終始していました。完全無欠に無難な会話だ。おそらく他にめぼしい人がいるのかな?って思いました。


面接は結構手応えがあって、これまでの研究成果や場所を変えながら結果を出してきたこと、海外での経験を高く評価してもらえました。まあ、それでも落ちたことあるんで、またそのパターンだなと思ってニュートラルに受け止めて、面接終了後にラボを見学させてもらって帰宅。



1週間ほどしたころ、電話で内定の連絡が来ました。まさか一回も喋ったことない先生方に採用してもらえるとは思ってなかったので、びっくりしました。



その直後、対面に戻った国内学会に参加すると、自分がこれまでは無名でほぼ相手にされない存在だったのが一変していて、スイスのボスのとこにいたんでしょ!ってめっちゃ話しかけられました。

そしてありがたいことにスイスの結果の一部を口頭発表したら、講演賞を研究者人生で初めていただけることに。海外学振をとるような人だと複数持っていておかしくなく、結構コンプレックスに感じていたので、うれしかった。


そんなこんなで強く感じる、スイスのボスのところでしっかりと論文を出して帰ってきたことによる評価と認知度の上昇。

海外留学のアウトプットとプレゼンスが帰国時に間に合うかは、めぐり合わせによるものが大きいと思う。やや遅れてやってきた、スイスのボスの下でポスドクをやった日本人という評価の急上昇により、夢にも思っていなかった旧帝国大学の助教ポジションにつくことができそうです。


海外でいい研究をして帰ってくることは、コネを考慮しない人事やそういった人材を必要とする場では強力な威力を発揮するみたいです。そんな公募と出会えるかという運の要素は不可避ですが、今回はしっかりといいポジションを見つけられたというのが、本スイスでの海外ポスドク留学の後付けのハッピーエンドってことでどうでしょうか。


さて、おそらくこれで海外ポスドクを中心とした物語は終わりです。これから「スイスのボスのとこにいた日本人ポスドク」から脱出する旅が始まる気がします。

さしたる結果のない普通の学生だった1人の若者が、色々と迷いながら海外留学を経て成長する物語として誰かの背中を押せる内容になっていたら、この上のない喜びです。


今の結果のあるなしはあまり関係ありません。博士課程の皆さん、海外でポスドクどうっすか?本当にいいですよ!もし興味あって何か聞きたいことあれば、いろいろ情報共有できるので、気軽に連絡下さい。


写真は、僕の大好きなバーゼルの旧市街をライン川を挟んで反対から見た眺めです。