スイスの教授たちは日本と比べてかなり研究にさく時間があり、全体的にうまく働いているように見える。会議もかなり少ない。特に違うと思った点は、学部と修士の研究室での扱いだろう。

スイスの学部の卒論は1ヶ月程度、 スイスの修士課程では、6ヶ月ラボを選んで滞在してその結果をまとめて(最後の1ヶ月程は修論を執筆)終了である。その面倒を見るのはポスドクか博士課程の学生で、教授は最初と最後にディスカッションをしたりするが、日々のケアはドクターの学生で事足りる。つまるところ、博士課程に入らなければ、自分で研究を長い目で計画して一歩づつ目的に迫るという経験を積むことはできない。そのため研究職ではマスターはあまり意味がなく、博士の価値も日本に比べ高い。

結構いい給料がもらえる企業の研究者になるには博士課程への進学が絶対なのである(どうせ博士課程も給料もらえるし進学を戸惑う点はない)。そして教授たちはドクターとポスドクのケア(と論文執筆)にかなり時間を割ける。マスターまでは訪問学生的な扱いで、ラボのホームページのメンバーにもマスターは載らないことの方が多い。また、博士課程に進学を考えてた場合、マスターの仕事の取り組みがいい指標になり、ボスは給料を出す身として、博士課程のオファーするかどうかの参考にする。そのため学生側も短い期間だが、意外と効率的に働き結果をまとめ上げる。

一方で、日本はがっつり卒業研究から修士課程まで3年間研究をさせることで、博士ほどではないにしろ、かなりのスキルを身につけて研究職につく。その後どれくらいの割合で研究に貢献できる人材になってるのかは知らないが、博士じゃなきゃダメという声が全然ないので修士レベルからの入社で困ってはいないのだろう。

そんな感じで日本では三年未満で出て行くメンバーがほとんどで、日本特有の長い就活のため、博士を除くとM1とM2の半分くらいの期間が実際の戦力だろうか。スイスのラボでは4年の博士課程が6-10人ほどと、ポスドク2-3人くらいのラボが多いので、平均の研究クオリティははるかに高く保てる。

さすがに修士卒の能力を比べると日本の勝ちだと思うが、それに割く労力と研究室のプロダクティブさを考えるとスイスの方式の方がいいと思う。

おそらく日本のある程度のクオリティの修士を量産する体制は高度経済成長期の人材不足の時代には良かったかもしれない。しkし大企業の相次ぐ不況と人口減少社会に突入する現代社会にフィットしているのか気になる。。。均質的な多数よりも優秀な少数が次の大きなシーズを生み出すことが鍵になる気がするからである。

なんらかの方針変換が必要でしょう。でもまたこれが難しい。じゃあ「スイスのように日本も修士を6ヶ月しか研究させずクオリティを下げるか」となると僕もそうですが日本の人たちにはかなり抵抗があるんじゃないでしょうか。言い換えると、博士課程の価値を上げるために、修士課程の質を下げる。作戦としては当然ですが、一般的には教育に時間を長くかけることになり、社会に貢献するのが遅れるのに大きな抵抗があると思われます。

まあどうせ変わらないし、答えはない。と言うかいいアイデアがあっても虚しいだけです。そんな修士課程の日本とスイス違いとラボのクオリティの話でした。

もちろん日本の修士も研究力では勝りますが、ポスドクになった今の目線では、僕のラボやその周りでしっかり「研究」をできる修士卒は相当少なかったと思います。終身雇用で育てるからそのうちの数名がモノになればいいのかもしれませんが、人件費の圧迫が凄そうなんで、修士卒の研究職もポスドクみたいに任期付きにしちゃったらどうですかね?(暴論)

謎に配置換えしたってしょうがないじゃないか。使えないやつの首を切って欲しい、ポスドクだけじゃなく日本中で。死なば諸共じゃー