なんかいい論文誌に通りすぎじゃね?
今年はうちのグループは論文フィーバーの様です。
Nature姉妹を筆頭にJacs、Angew、ChemSciとボコボコメジャージャーナルをだしまくってます。
内容は半分はまあ妥当、半分は絶対通らないと思ってた…自分の感覚がずれているわけじゃないと思いたいが、なんか無理筋な説明をしている論文が通るのだ。多分Nature姉妹誌を出したことに付随するネームバリューの上昇が大きいんだと思う。
だがどうだろうか、僕は思うにビッグラボがいつでもメジャージャーナルに論文を通すのは良くない文化だと常々思っていた。なぜなら一個のJacsにはそれをもう少し深く追求した専門誌の研究がついてくる物だと思ってたからだ。それを必要としない発見はつまり、ほぼ自明な研究をしているに他ならないのでは…?という疑念である。
やる前に仮説がもうほとんど真で、上手いこと綺麗なデータや先端測定を並べたからと言って、発見の価値は大きくは変わらない。つまりそれは一流誌に載る必要はないのである。
別にグループの一員としていい論文が通ることは嬉しい限りである。だがなんでモヤっとするのか、その理由に行き着いた。今のボスはすごく良い人なんだけど一つだけ大きな不満があることに気がついたのだ。それは、メンバーが他のグループの論文の化合物を少し変えてパクりのような研究をスタートしても止めないのである。今までの論文はそう言うのはなかったのか、まだパブリケーションリストには出てきてないが、3-4人のテーマは既報の化合物のマイナーチェンジで少し向上した物性を測定するものだ、それらは全て化合物は同じポスドクが「デザインした」と言って大学院生に配っていく。。。どうなんでしょうね。
結局ポスドクが勝手に行ってるだけでボスは論文にする気はないのかもしれないし、忙しいから別にどうでも良いのかもしれない。
ただ絶対に良い人である姿勢は崩さないので、この簡単に良いジャーナルに通る雰囲気と、パクリ研究が重なってパクリ研究で高IF論文を出しまくることを僕は恐れているのだ…
さらに、こういうのをパクリと感じてるのは僕だけのようでそのマイナーチェンジがオリジナリティだと他のメンバーは思っているようだ。ふむふむ。やっぱり1年も経つと合わないところも出てきますねえ。火事の後処理で(まだ色々やってます)少し余裕がないからそう感じているだけかもしれないが。
パクリ。だめ、絶対。
心の中のひろゆき「でもパクリってあなたの感想ですよね?パクリの定義って何ですか?」
僕「ぐぬぬ」
でも逆に自分もパクって論文出せばついに念願のJacsを出せるっていうことか…ゴクリ。。。
続く
Mövenpickっていうアイスうまい。ハーゲンダッツには戻れません。
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