最近研究がうまくいきません。

うまく行かないと言いつつも、デザイン


した化合物がかなり挑戦的な物性を持たせようとしていたので、そうそううまくは行かないものですが。合成自体や、なぜうまく行かないかの理解は進んでいるので、そういう意味では最悪の状況ではないです。それでも全然苦しいものです。

なんでこんなに苦しいのかを考えたところ、どうやら周りの評価を気にしすぎている自分がいることに気が付きました。自分でお金を払って博士課程をしていたときは自分との戦いでした。いかに自分の実力を上げて面白いと思える研究に邁進できるかの。だんだんプロの研究者になってきて、いろいろなところからフェローシップや助成金をもらえる事(そもそももらえないとやってけない)となり少し息苦しく感じるようになってきました。

お金がないと科学研究なんかはできません。じゃあなんで僕たちの研究にお金をつけてくれるのかと言ったら、これまでの業績や提案が他の人よりも優れていて長い目で見るとなにかの役に立ちそう、もしくは学生が高い思考能力を身に着けて教育として高いクオリティを与えられるからではないでしょうか。

研究結果が出ないというのはこれらの期待を裏切っている気がしてくるのです。だから半年、一年といった中期のスパンで論文という形の何らかのアウトプットがないと個人的にかなりまいった気分になってきます。

こちらの学生たちは日本人研究者と比べるとあまり周りの評価を気にしてないようです。あまり我は強くなく、結果が出なくても精神的に病む人は殆ど見ません。個人的な見立てでは「研究がうまく行かない=終わり」ではないのと、こちらのPIの責任がかなり強い雰囲気があるため精神衛生がかなりしっかりとしていて、不登校や病む人はまったく見ません。こうなると研究がうまく行かない(そののち先生との関係性がかなり悪化する環境?)ためやんでしまう日本人が精神的に未熟に見えてくる気もします。

自分も修士課程のとき研究がうまく行かなくてかなりまいった経験もあるので日本人が精神的に未熟だとは思いたくはないものです。おそらく日本では特にここ5-10年程はアカデミアの過酷な環境から博士課程=絶対アカデミア残りたいという相関が強く「研究がうまく行かない=人生が終わり」といった雰囲気が強いせいなのだと思います。

日本人は真面目で勤勉、これはみなさんが割と思っていることだと思いますが、個人的にはスイス・ドイツ人も同等かそれ以上に真面目で勤勉で精神的に安定している思います。おそらく昔はもっと日本人も踏ん張れていたと思いますが、アカデミアの環境が悪すぎて日本人の美徳も失われつつあるんじゃないかという気がします。こちらだと博士になれば研究結果よりは人間性で一緒に働きたいようないい人たちは仕事には全く困らないので。

まぁ、僕はここで結果が出ないと日本での仕事も海外での研究者の仕事も得られないので、精神的にきびしいものがあるんですけどね!ポスドク辛すぎないか、博士ポスドク二回、短期間でそんなポコポコ結果出てるってことはそうそうないですよね。特に毎回1からテーマが変わるとかは奇跡的でしょう。まあそれが望まれるならやっていきのこるしかないんでしょうが。

ではまた。多分そのうちなんとか結果出します、今までそうだったんで。