研究は好きか
僕は研究が好きではない。むしろ嫌いだ。
今までやってきた研究はかなり努力してきたし、手を抜いたことなんて一回もないし、それなりに結果もあるが、研究なんか全然好きじゃない。
好きじゃないし、毎日の研究生活が楽しいかと言われればそんなに楽しくもない。
最近気づいたのだが、周りの若手はどうやら研究が大好きらしい。なんともびっくりした。僕がコミュニティで群を抜いてネガティヴクソ野郎だったのだ。
なんで好きじゃないのか。多分、これまで自分がどれだけ頑張って見つけた発見でも、尊敬する科学者のたちと比べどうしようもないほど矮小だからだと思う。それに現在のままの日々を暮らしても、そういう大きな発見に繋がらないということが心の中ではわかっているからな気がする。
今の結果には満足できないが、尊敬する先生たちのラボで研究をさせてもらうことができて幸せだとは思う。だが、この現在の比較上で世界屈指の研究をしているラボにいてもなお、世界を驚かすレベルの研究に繋がるとは思えないのだ。
そこで、ある種の絶望感というか虚無感が襲いかかってくる。科学の神様は努力してる人にのみ微笑むが、努力している人全員に微笑むわけじゃないというクソ野郎だ。
じゃあもっといい研究提案で、大きな研究グループを率いて、もっとこの渇きを潤せる可能性のある研究をしてやろう。それが頑張る動機かなあ。もうできるようになったことに興味はすでにないので、論文量産とかもっとデータを足していいジャーナルを狙うとかには意味を見出せない。それによって独立研究者になるのが遠のいていく矛盾も科学を嫌いになる要因だな。
苦しい。あまりに苦しい。でもいつかすごく面白いと思える物を世界に発信できれば、研究を好きになれるのだろうか。今はこの問いが結構気になっている。
研究は僕のことを愛していないのはもうわかった、じゃあ研究が僕を愛してくれないなら僕も研究を愛する気はない。愛してないものを愛するなんてことは、片思いみたいで恥ずかしいじゃん。
いつか科学が僕を好きになってくれるなら、好きになってあげないこともないかもしれない。
研究なんか全然好きなんかじゃないんだからね。
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