日本の博士を取ったラボの話。

僕が博士課程2年(D2)の時に学部の4年生(B4)として配属されてきた学生がついに修士をとって、社会に羽ばたくらしい。その彼とは2人でとある地方の学会に参加したこともある、懐かしいなあ。

その後輩、年齢が一個上でその実、人生の先輩なのだ。ラボの一個上のD3の先輩と、接点はなかったらしいが同じ高校の同級生だった。

なんと現役ストレートだった僕から遅れること5年、彼は26歳にして新人として研究室に来たのであった。ストレートに行ってればもうすぐ博士の学位取得に届く年齢だ。

彼は医学部に行きたかったようで、浪人や仮面浪人を繰り返すうちに、進級要件を満たせずにここまで長い道を歩いてきたらしい。

その背景からの予想通り、彼は不器用な生き方だった。うまくいかないことに折り合いをつけて、時間までに終わらせるというのが極めて苦手のようだった。

一方で、研究は目に見える締切がないし静かに作業できるし、そう言うのが好きだったようでメキメキ実験をして結果を積み上げていった。ラボではかなり珍しく、学部の終わりには論文一報分の結果にまでなり、修士1年時に投稿論文として報告できた。

そして就活か博士進学かの選択の時期が来る。彼は博士に行きたいと思ってたらしいが、ただでさえ5年遅れている、常日頃からそのラボの先生たちは進路は基本本人の自由だとは言ってきていたが、この時ばかりは就職を薦めたらしい。

しかし、彼の就活は全く思うようにいかなかった。現役ストレート主義の中で、5年も歳をとっているディスアドバンテージと本人の少しコミュニケーションが円滑じゃない点が組み合わさってとてもじゃないが就職が決まりそうなレベルにすら行けなかったみたいだ。

彼の進む道は博士にも民間にも無くなってしまったのだ。

ラボでは、就活時期も終わる頃に8-9月に年度の中間発表がある。

大体そこで不器用な人材の処分が行われる。先生たちにはそのつもりはないのかもしれないが、こういった人生が全くうまくいってない学生にも平等に研究進捗が無いことへプレッシャーをかける。至極当然、僕と違って真面目な彼らは行き場もなく、就活に傾倒してたため発表する内容もない自分を責める。そして発表前だったりその後だったりにパッタリと大学に来(れ?)なくなるのだ。

そして休学してその半分は辞めていくし、もう半分は一年遅れたりしながら卒業はしていく。彼も長い間休学することとなった、僕は心配していたが何もできなかった。こういった後輩達にはいつも困ったことがあれば連絡するように言うが、SOSの出し方もわからないようで何とかできた試しは残念ながらない。彼はなんとか戻ってきて、普通は2年の修士課程を実に3年も伸ばし5年かけて今年出ていくのだ。

ここまで時間をかけてとっても、途中で辞めても、多分彼の周りからの評価が劇的に変わることはないだろう。普通の旧帝大生のストレートの人たちと大きく異なった人生であることに変わりはない。けど、辞めていくのは簡単だけど、しっかり修了したという事が彼の人生に好転の兆しとなってくれることを祈るばかりだ。


上にも書いたが、彼は研究力は高いのである。それも僕が見てきた中では、その辺の大企業に研究職を得て出て行った修士卒のラボメンバーよりも明らかに。

研究は他の人と同じ思想や画一的なものの見方では、しばしば既知のものの再生産におちいる。それを打破する人は、捻くれ者や変わり者などのパーソナリティを持つ事が多いのではないか。彼のような人材を研究者として使わずに行き場がないのは、ただでさえ少ない若者の能力を発揮させる観点からは大きな問題だろう。全ての仕事において、一般に大企業が求めるレベルのコミュニケーション能力は必要なことはないはずだ。みんな歯車と潤滑油だとただのベタベタのギアーの山以外の何者でもない。

不器用な仕事人の居場所はどこにあるのか。