この一年のあいだ公募情報と睨めっこで過ごしていた。

少しでもチャンスがあれば、日本の教授や若手の研究者にできるだけ公募の情報を聞くようにしていた。


そんな中で思うことがある。50-60代の教授と若手の意見の齟齬だ。


教授世代の人たちは、最近は助教公募が結構出てるしあまりいい人が集まらないって意見だ。その反対に若手の人は公募/助教ポジションがない!って口を揃える。はてさて、これはどう言うことか?


おそらく、教授世代の先生たちは、公募しても「めぼしい助教が来ない」=助教候補がいない=売り手市場。だと思っていて、逆に今のポスドクや博士学生は公募を見てもここに「行ったら論文も出せず任期が終わりそう」という公募が多く=出さない=いいポジションがない。

ってなってるんじゃないかなというのが個人的な感想である。いろんな友人と話して大体この結論になるし、多分間違ってないと思う。


つまり、一部の公募を除いて、人件費と場所はあるけど、研究ができそうになくその後が危ないから応募者が集まらないのだろう。


任期付きでその3-5年後にほぼ確実に異動を求められる助教ポジションなのに、教授が論文を出す能力が低いラボだったり、装置や研究費が当たらなそうな大学が助教を公募しまくっているなあと感じる。そしてここ5-10年のあいだにそのポジションについた人たちがどうなったかを見ている。おいそれと簡単に前任者が潰れたポジションには行けない。


これは個人的には選択と集中の弊害だと思う。中堅大学の基盤的な運営資金や競争的資金の獲得状況やオンラインで読める論文の本数など、集中投資をうける選ばれし大学との格差が大きすぎる。当然、助教・ポスドクの段階から選ばれし大学に居続けたほうが、論文は出せるし相対的にやる気のあって質のいい学生と研究ができる。中堅以下の大学で助教を開始して、准教授に昇進できる例はまれで、大体選ばれしいい大学の助教が准教授として着任してくるため中堅以下の大学の助教はほんとうに行き場がなくなることが多い。


むかしから、東大京大が強いことは疑いようがない。しかし化学の分野では意外とすごく有名な先生が実は地方の旧帝国大学でもない国立大学出身なことも少なくない。これは、昔の大学のシステムでは良いアイディアややる気があれば東大京大を出し抜くレベルの研究ができていたことを示しているんじゃないかなあ。


このような背景の分析はおそらく大きく間違ってないと思う。実際に地方大学は若手研究者を集めるのに苦労してるという話を聞く。


そんな地方大学に人を集める方法は、助教をPIにしてスタートアップを1000万つけて、テニュアトラックで5-7年後にかなりの確率で准教授にできるなど、ほかの大学よりも魅力的な若手ポジションと未来を示すことなんじゃないかな。


そんなこと考えていたら、助教1年更新最大5年の地方私立大学の公募が流れてきた。そして某旧帝国大学はノーベル賞クラスの研究者をこれまでに例のないほど高い給料で外部から引き抜くプランを打ち出したらしい。一人の研究者にさらにお金をつぎ込むのはアメリカのような数多くの大学が一流の研究をしていて潤沢な資金を持つ国ならいざ知らず、ただでさえ研究費が偏っているうえに全体の大学運営費が減っている日本でやることなのだろうか。


どこまでも改善されずに落ちていく。50-60代の教授たちは勝ち逃げでいいよなあ。