こちらに来て思うことがある。

日本人(アジア人?)って陰湿で根に持つ性格の人が多い気がする。

例えばある日のスイスのラボでのこと。ラボメンバーが他の誰かの測定サンプルを倒してこぼしてしまったことがあった。それは非常に重要なサンプルで、とてもじゃないが簡単に取り返せるものじゃない。でもその倒されちゃったメンバーは謝ってきたメンバーを快く許してたのだ。

日本だと教授に報告して説教させたり、影で悪口言ったり、直接罵倒されることも想定される。知らないけど日本でも企業とかだとお咎めほとんどなしで許されるのかな?僕の知る日本のアカデミアでは日頃から相当仲良い間柄じゃない限り禍根が残らないとは言い難いレベルの損害だった。

日本のラボ内の人間関係のもつれも、突き詰めると、自分はこんなに頑張ってるのになんであいつだけっていう嫉妬系が多い気がする。「自分の方が実験やって結果もあるのに国際学会に行けるのはあいつなのかよ」「自分の方がこの結果に早く気づいたのに、論文にするのはそっちが先なのかよ」とかである。

つまるところ、自分中心で周りを気にしてないので、生まれてくるのかもしれない。その不公平を感じる相手にもその人の人生があるし(全部を監視してるわけじゃないからそいつよりやってるかなんか究極的にはわからない)、1人じゃあラボは回らないので、先生やメンバーとうまくやるスキルもラボではかなり重要なのだ。

こちらではこういうことを思ってないかと言えばそりゃー多かれ少なかれそういう感情はあるようだ。普段からすごく人がいいドイツ人博士学生ですら、ストレスがかかったときぽろっとラボの現状と自分と同期の立場(サポートしてくれる人やプロジェクト)の違いに文句をこぼしていた。

つまりそういう感情がないわけじゃなく、それをコントロールすることが人格的に仕事をしやすい環境を作り出しているんだとおもう。

翻って日本のラボ。ギスギスしてるラボ多いし、それがメンバーの将来を潰してしまうくらいエスカレートする事もある。僕も余裕がなかった時、後輩の装置の使い方がものすごく雑だった時などかなり詰め寄るように指導してしまった。

日本でこれまで過ごしてきたラボは本当に殺伐としてたので、雰囲気が良くてやる気のあるメンバーが集まるラボというのを知らなかった。日本での振る舞いに反省する点が多いが、ギスギスするほど自分で自分を追い詰めなければ、海外でポスドクするほどに成長できなかったのも事実だろう。

日本式教育だとやっぱりプレッシャーかけて、生き残ったやつじゃないとその先のもっと過酷な生存競争で生き残れないので、現状学生の段階からがっつりプレッシャーをかける準備なのかもしれない…

思うに余裕がないのである。こっちだとほとんどいい企業に就職することが目的で、それも難しくないので、ポスドクに行く人は極端に少ない。日本では博士課程=アカデミアor死、な余裕のなさが嫉妬を助長させる構造なんだと思う。かつ評価に続く評価が人間性など露ほどもきにしない。論文数、論文IFで見られることが多いので、人間関係に気を配りメンバー全員で頑張るより、一部の精鋭を作り出してそいつらが気晴らしにうまく行ってない奴らを虐めたとしても論文が得られればいいのである。

大学の教授の人間性をもう少し考えた方がいいと思う。研究活動のアウトプットは論文だけじゃない。学生数名をボロ雑巾のようにデータだしパシリにしていい論文一報書いたところで社会に出る人材がお粗末だと社会の貢献度はどうなのだろうか。人格者かつ教育をしっかりする人の方がいい人材を社会にたくさん送り出すことになるし、将来的に日本の未来が良くなる気がする。

もっと人間的な生活ができる余裕が日本のアカデミアに宿る日は来るのか…


嫉妬…

海外でポスドク頑張ったのに、博士出てすぐのやつの方が結局助教になるのかよ!

とかね笑