なんか日本の修士卒で会社に行った同期から連絡が来ました。彼は最近、企業の研究室訪問でとある旧帝国大学を回って、そこにいる助教たちと話をしてきたらしい。話ついでに海外でポスドクをしている自分のことを話したらしいのだが、もうそろそろ助教にならないと手遅れだろうねというリアクションが大多数だったらしく、心配して連絡をしてきてくれたようです。

うーん。二回目のポスドクは日本では全然メジャーじゃないとは思ってましたが(合成化学系)、海外に頑張って来てもそういうことを言われるのに少し心外な気持ちになりました…4年(2年×2箇所)もポスドクやってなんの意味があるのか?それこそ、やってない人にはわからないだろう。速攻で助教になった人たちにはわからない何かがあるんじゃないかな。

ここらで2回目のポスドクを行く事のあれこれを考えてみようではありませんか。


・最速で助教は幸せなキャリアを生むのか?

いまだに、ポスドクという言葉には助教にすぐなれなかった人という負のイメージが日本にはある気がします。でも僕は個人的にはそうは思いません。ポスドクには重要なトレーニング期間として助教や博士課程では手に入らない特徴があります。中でも特に任期が短く、資金が潤沢な研究室か自分のフェローシップがないと行うことができません。しかるにポスドクに進むとクオリティの高い研究に身を投じる機会が多くあり、そこで短期集中でスキルが伸ばせるのです。

一方で、助教は授業や学生実験の担い手としてどのクオリティの研究室・大学でも必要とされます。ここが落とし穴で、助教に早くなった知り合いは何人もいますが4-5年も立つのに、論文数報で中身もパッとしなくて、教授の仕事の枝葉と見られてもおかしくないケースが結構あります。そして、任期が来て無慈悲に契約終了した例も数人ほど知っていますし、さらにもう数名そうなりそうな危機的状況にある知人もいます。狭いコミュニティでこの人数ですので相当確率は高い。

もちろんそれぞれ個別の事情があるんでしょうが、助教になれても任期中に准教授に資するレベルのアウトプットがないとかなり危険な状況にいきなり落ち込むのです。助教になってアガリのスゴロクじゃないんです。准教授公募戦線はかなり厳しそうに見えますし、助教の任期に余裕を持たせる財政状況はない雰囲気を感じています。5年で助教を駆け抜け出世するくらいの力を持ってスタートする方が、今の大学ではいい選択なんじゃないかと思うんです。


・単純な組み合わせの問題として見ると

助教に最速でなると博士課程の知見と着任した研究室のテーマで主に戦うことになります。それぞれ組み合わせて戦おうとして1×1=1のワンパターンしか生み出せません。

一方で、ポスドクでもう一個武器を身につけてから助教になれば、3つの大きなテーマとラボ文化を経験することになります。それら2つを組み合わせると3パターンが生まれます。3つを全て取り込めたテーマも作れれば合計4つの色が研究として持てることになるでしょう。

さらに二箇所目のポスドクを経験すれば、4つの武器があります。4C2 + 4C3 + 4C4 = 11パターンが生み出せます。ここら辺までくればかなり自由度の高い研究が繰り広げられそうですよね。そこからアタリを見抜く力も当然上がってると思います。実際の研究はそういうものじゃないのは承知でイメージしやすくするためにザックリ論で語りましたが、実際この2回目のポスドクがかなり多様な研究能力を生み出すと言えませんか?11倍ですよ、ドラゴンボ☆ルの界王拳ですよ。

これをもってして5年任期の助教に挑めば、研究室への貢献もすごくできるし、短期テーマでそれぞれ結果を出してきた経験から、自分自身が色々なことに挑戦する器用さも身についていると思います。なぜみんなすぐ助教になるんだい…?それじゃあ先生にこき使われた上に、生き残れなくなっちゃうかもしれないよ?



…と自己正当化の投稿を書いてなんとか気持ちを慰める手遅れに向かって歳を重ねるポスドクでした。スイスの駆け足の秋、静かな夜に悲しい思いを噛み締めてます。誰か優しくしてください。あ、そうだ、栗のヨーグルトでもたべよう…


※このブログは順風満帆で国内トップをひた走る人たちとは無縁の大まかに全国アカデミアの中央値くらいの記述をしてます、かつ個人の感想です。国内トップ層のキャリアや研究力は世界的にみても未だにかなり強いと思います。