ノーベル賞シーズンですね。一応科学ブログとしてなんか思うとこでも書きましょうか。

今年の化学賞はProf. MacMillanとProf. Listとなりました。3年連続で応用(とその可能性)を強く意識した選択になったと思います。Crisperや有機触媒はダイレクトに人間社会への還元が期待できるでしょう。ちなみに私見では分子機械は今後数十年は役に立たないと思います。笑

化学では、そのかなり広い周辺分野(物性物理、測定、材料から生命活動まで)も化学に関連してくるのでノーベル賞級の研究っていっぱいあってどれがとってもおかしくないんです。なので日本人(日本ゆかりの外国国籍)が受賞するのはもちろんうれしいんですけど、「取ってもおかしくない人がたくさんいること」がとってる事実よりも自分には嬉しいですよね。

候補に上がるのと候補が選ばれることの差はかなり曖昧で、それ自体を大きくは喜ぶ気にはならないのです。受賞はできなくても、それと同等な良いクオリティのサイエンスができた多くの先人がいることにサティスファイしているのです。

ちなみに日本ではYoutubeのライブストリーム見ながら発表を待つのが恒例行事のラボも多くなってるかなと思います。ところ変わってスイスでは、部屋を共有してるラボメイト5人いるんですが1人が見てた以外はほぼみんな気にしていませんでした。話題にもほぼ登りません。(僕がハブられてるだけかもしれませんが笑)

こちらは、あまり他人の評価はノーベル賞といえど気にしてないと思います。アメリカのUCとかハーバードとかの世界でゴリゴリしのぎを削りたい奴らの集まる環境とはまた違うのですが、スイスの中でも一応研究大学です。自分が自分のテーマをどう考えるかがメインで、あまり日本ほど研究とはなんぞや、などなどテーマを飛び出した思索をする人はかなり少ないです。ポスドクに行く人も少なく、よく言えば堅実的、僕の個人的意見ではつまらないというか張り合いがない。


報道見てて気になったのは、なんか90のおじいちゃんに人材流出の話してましたね。彼が若い頃は海外の方がやっぱり環境良かったんじゃないかな?今の話みたいに使わないで欲しいです。笑

ちなみに若手研究者としての立場だと、研究ができる環境(チャンス)が与えてもらえるなら、家族の意向は置いておいたら、一番いい条件で研究をしたいと思います。それは日本を捨てるとかどうかとか、日本の研究環境がどうかとかはあまり関係なく巡り合わせだと思うんです。だっていつどこにそういうポジションがあるかもわからないし、若手は不安定な身分なので選り好みはしてられません。

僕ですらそう思うのに、ノーベル賞級の研究者には特に人材の海外流出の話は当てはまらないと思います。すごい研究をする覚悟がある時点でどこでそれをどこでするかはお金とチャンスの巡り合わせです。かつ海外(アメリカ)で研究した方が研究のプレゼンスも上がるし将来的にいい人材と巡り会い研究が飛躍するので、ずっと日本で研究してもノーベル賞級と認知されるのはやっぱり難しいんじゃないかとも思います。なのでノーベル賞は海外経験が豊富な人に偏りがちになるのは当然でしょう。

受賞と同時に日本との関係はどうこう、人材の流出、研究環境の改善→で結局何もやらない流れはもういいですから。

ノーベル賞なんか遥か遠くに置いておいても、十分日本の研究環境は疲弊してますよ。

こういう賞級の研究はそもそも狙って取れるものじゃないので、色々な可能性を広げて探索することが大事だと思います。つまるところ選択と集中の真逆です。文科省(内閣府?)主導の課題の提言を止めるべきです。


ちなみにスイスで自転車乗る時、僕はノーヘルです。。。あれ?なにこの空気…笑