今はコロナ禍とあって日本化学会の化学と工業が無料公開中だ。

海外で日本の様子がわからないので、少しでも状況を見ておこうと一応毎月ペラペラと見ている。今はマウスなのでカチカチとみている?

巻頭言とオピニオンが結構好きだ。偉い人たちの考えが多様で面白い。

アカデミアの先生は本当に現状を危惧していて、若手の支援とアカデミアの再興を願っている投稿が多い。ただ結局何かアクションが起こるわけじゃないのが虚しいが。

産業界のお偉い方はアカデミアに産学官の連携、より企業研究で役に立つ人材の要望を書き連ねる。マジで現状を理解してなくてアホっぽい笑 まあ彼らは極論お金目当てだろうし、会長とかまで行くと現場も忘れてるし金はたっぷり持ってるし、ここ数年で企業が傾こうが自分たちは逃げ切りだし。今の若者が根性ないことにすればプライドも傷つかなくて良いんじゃね。

政府よりの人は、科研費の配り方を工夫して総額は増えてるのに研究結果が出てこないのを間接的になじってくる。

科学記者クラブなどのマスメディア系は、博士過剰に関してアカデミアにこだわらずに広く活躍の場所を模索しろという。そもそもアカデミア以外で活躍したかったのなら博士-ポスドクにリスクを負っていく意味がないので、この指摘もどうなのかなあと思って見ている。。


さてさて、12月号はIFからの脱却という内容であった。

現代は推しも推されぬ高IFジャーナル至上主義である。

言わずもがな、IF(インパクトファクター)とはここ2年に出た論文が何回引用されたかで計算され、雑誌の影響力を測るのに使われている。

つまり高いIFのジャーナルはいいジャーナル。いいジャーナルに出せる論文はいい論文。いい論文を書ける研究者はいい研究者。4段論法的に高IFジャーナルに論文を持っていることがいい研究者の評価につながるという「間違った使われ方」が蔓延っている。

果たしてなにが「間違ってるのか」が最近わからなくなっている。このブログのこれまでの論調的にはIF至上主義に真っ向から反対しないといけないんだろうけど。。。

特に自分が身を置く合成化学はその色が非常に強い。実際に、毎度気合を入れて書いてるJSPSが通ったのは化学一般誌に掲載が決まった後で、同じ内容で書いていても業績欄の違いでそれまでは一歩届かなかった。また、ある時に呼ばれた特任助教の面接も業績にメジャージャーナルがないだけでこれまでの研究とこれからの研究の議論もほとんどなく、業績不足という理由で落とされたこともある。。。ちなみにどちらのケースもまだ通ってないだけでメジャージャーナルに通る直前の研究内容を盛り込んでいる。

結局、若手が一人で高IFに反発したって無惨に死ぬのだ。

今の現状では、「あなたのIFを見てます」と言ってもらった方が楽だ。IF見て、あなた研究力がないですねと言われるよりかはだいぶマシだ。

そして高IFを持ってる側からすると、それを印籠の様に掲げれば持ってない雑魚がひれ伏すのでこんなに便利なツールはない。高IF雑誌のエディターも高IF出してる人は引用数が多いので、論文掲載も推奨する。雑誌のIFがまた上がるからね。こうして格差はできる。そして選択集中マネーをIFで殴ってとって、ポスドクと高い分析機器でまた高IFを手に入れる。これを続けた先に学術的なあらたな発見がほとんどなくても、このサイクルが成り立つ分野が合成化学には数個ある。ほら、Jacsに今日も論文が…。

元来研究の批判はその研究を深く理解するところが出発点だ。IFがしょぼいのしか出てない=しょーもない研究者となると、いとも簡単に他者の批判ができる。なんとも非科学的な手法で!これを科学者が率先してやってるのだから、研究者とはもはや論理的ではないのです。

歴史の偉人たちよ。巨人の肩に立つ文化は、巨人の肩幅を測る文化に変わりました。肩幅が広い巨人に立ってる人が次世代の偉人です。

こうして研究とは、たくさん引用してもらう何かが一番偉い。もう牙も折れました。🦣苦しいですサンタマリア

そんなこんなでIF反対派はめでたく絶滅を迎える。めでたしめでたし。

反論しようかとかんがえても、Natureにあなたの見つけた大発見を載せたいですか?と問われてノーと言う人はほぼいないんじゃないかな。

誰も知らない神秘を解き明かして、みんなに教えてみたい。そういう研究者の本質的な部分があるのでこのIF階級社会には終わりが見えない。。

流行りのテーマをうまくやって高IF出さなゃ生き残れないんじゃないとかと思うと、任期の短い若手は高IFになる見込みが薄い研究テーマで長期戦はできない。。。必然、最近通ってる毛色をチェックするのが傾向と対策、日本人が得意な受験テクニックのようなものだ。Jacs出すための塾とかそのうちできないかしら。FKZM先生が特別講師としてくれば説得力やばい。

とかくにものをいっても実際のところ若手の研究評価ってIF使わないでどうやる?他に数値を導入してもまた別の歪みができるし、先生たちの研究経歴による主観は忖度や身内のために使われてるよね実際。

根無草でIF主義に嫌気のさす僕のようなポスドクはそろそろ身の振り方を考えるべきなのかもしれません。

IFは化学を画一化する。間違っているがやめられず、ぼくが研究を始めてから数えても10年近くIF至上主義への警鐘が鳴っている。毎日のように警鐘がなるとそれはヨーロッパの教会の時を告げる鐘のように、もはや日常の一部だ。