なんだかなあ。研究者の質の変化?
ここ数日、良質だと判断されている論文誌に掲載される自分の周辺分野から出る論文や、Twitterで流れてくる論文の質がどうもよろしくない。個人の合成、測定、物質感からすると値が良すぎたり、あまりにストーリーに合致しすぎる不自然にきれいな結果やそれをきれいに見せる図の論文が多すぎるのだ。おえぇってなるよね。
なんかアピール重視でストーリーに合わせて真の研究の重要性を見失ってはいないだろうか。しかし論文もTwitterも学会の質疑も最近はほとんどサイエンスの核心をつく議論がなされているとはとても思えない。なんかみんな漫然と日々「ほぼ分かってたこと、当然そうなるとおもうこと」を取り組みすぎて、難しい解釈や間違った論文を議論する文化がなくなってしまってきていないだろうか。
昔からある風習として、議論の余地がある論文にはComment on [論文タイトル]というのが出されてその質問者の疑問にReply to [comment on [論文タイトル]]という返信を書く必要があった。
近年の化学の分野でこのComment とReplyがどのように推移したか調べて、論文の議論をする風潮がどう変わってきたかを見てみたい。
まずは化学の分野のReplyとCommentの数をWeb of Science で調べてみた。タイトル検索でそれぞれchemistry分野で見てみると以下のようになる。
青がComment数で、オレンジがReplyの数。
近年の論文数の上昇からComment数もじわじわ増えているが、Replyはあまり変わっていない。
返信率を出してみた。
気難しさんからコメントついた、適当さんは読まずに食べたー♪
昔のネットや検索媒体がなかった時のほうがCommentが放置されてたのかなあと思いきや近年に近づくにつれ無視されるけいこうがありますね。
さて化学全体の論文数は
右肩上がり、2000年から2020年で2倍以上に増加してます。
これでコメント数を割ると。
やはり研究活動内のコメント文化はかなりすたれてきているようです。
コメント書いてバチバチやると想定される不利益が多い(気難しいと思われる、レビューで不利になる、細かくてめんどくさいと思われて共同研究できなくなる。)のが理由でしょうか。それとももうみんな論文の正確性や質をコミュニティ全体で気にしてないということでしょうか。とりあえず出た論文は褒めちぎった方が昨今のコミュニティでは得なんです。
実際Commentつけられたらすごくプライドに傷つくってききますけど、逆に言うとそれくらい難しいことをやったってことで次につなげていくくらいでいいと思うんですけどね。
顔色伺い科学の本質を議論しない。衆愚科学とでも言いましょうか。
まあ僕もComment書いたことも、自分の論文についたことないんで、ほぼコミュニティへの影響力ゼロ。まあまだポスドクですし。
にしても最近の研究者は研究の話する奴が少なくなってやしないかな。。。
どうじゃろう、みなさんも考えてみてください。
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