ありがたいことに論文を見た日本の少し年上の尊敬する先生から連絡がもらえた。


来年度の行く場所は決まっているかということで、公募の話があるらしく色々話をさせてもらった。


その先生が持っている話は少し自分には合わない気がして、すでに内定ももらっているので特別な事情がなければ内定をもらっている方が自分位は会うかなと言った感じだった。


その先生も海外でポスドクを経験していて、やっぱり日本のシステムの歪みはなんとかしないとだよなあという共通の見解を持っていてくれた。その先生や自分たちの代が主力になる頃には大きく変えられるんじゃないかなあ。


色々話をしてもらえて嬉しかった、感謝を告げると共に最後に、生き残れたら今後ともよろしくお願いします的なことをいつもの感覚で言った。その先生は、別に大学の先生も企業も突き詰めれば仕事の一種だから大学以外に出るのを負け組と捉えるのも変だし、大学に残るのが幸せとは限らない。生き残ると言う表現はやめた方がいいんじゃないかとやんわりと諭された。


これまで、残りたくても残れなかった先輩方を見てきた手前、僕は絶対生き残るんだ(少なくても能力が限界で弾き出されたくはない)と強く思ってきた。そんな自分の視野の狭さに気付かされた。


ほとんどすべての人が、いろんな仕事で頑張っている。大学に職をえられないのは運や巡り合わせも多いのも十分わかってきた。そこを勝ち負けや生き残る生き残れないで表現するのはいささか配慮に欠けるだろうと言うことらしい。


その人の人柄が出ている、いい考え方だと思う。