インド人ポスドク、ついに母国のすごく良い研究大学の(日本で言う旧帝国大学的な位置づけ)ポジションを得た。


その報告を聞いたボスは飛び跳ねて喜んでハグをしたとか。笑

いやー、思い出すと本当に色々あったけど、めでたい!自分もついでにハグをして、実験を切り上げポスドクたちで速攻で飲みに行った(夜9時だけどさ)。笑


彼から聞くインドのAssistant Professor争いは激烈な倍率である、常に500-1000人の候補者が応募してくるらしい。書類でバッサリ落とされて一次面接で30-50人くらいをZOOMで面接して、その後、有望そうな候補にこれまでの指導者などから推薦書を3通送らせて二次面接の候補者を選ぶらしい。


今回面接に帰ったインド人は、二次面接会場で4人の友人(同じ分野)にあったらしく、おそらく単純計算では1/4で25%だと言っていた。学位をドイツで取ったことから、インド国内の先生との交流がほとんどなく、いわゆるコネがないことを気にしていた。


インドの二次面接では、外部の(インド国内の)研究大学から外部評価委員を呼んできて、候補者の吟味を行う。最近は、外部委員とのコネが必要らしく、外部コミッティーの知り合いや同じ大学出身の候補生などが選ばれる傾向が強いから厳しいとぼやいていた。


ところが蓋を開けてみると、コネが全くない彼が選ばれるってことはインドのイメージとは違って(失礼)、純然と研究結果と研究提案で選ばれたんだと思われる。


これって、もしかして…日本より人事がクリーンってコト?笑


日本でポスドクしていた時も優秀なインド人はしっかりといい大学のAssistant Professorになっていた。


お金はアメリカやヨーロッパほど潤沢じゃないにしろ、インドでもAssistant ProfessorはPIである。スタート資金として200万が使えるらしく、他にも若手が手に入れうる研究費の応募がいろいろできるのでその申請書を始めるようだ。みんなPIになっていく中、日本の若手は老人のお世話を一生懸命するポジションが出世ルートなのである。


海外と日本の違い、それは日本ではポスドク||AssistantProfessor(PI)の壁がとろけて曖昧になっていることだと思う。


海外ではポスドクでがっつり修行し、研究力とスピード感を身につけて、激烈な競争のもとAssistantProfessorとしてラボを始める。


一方で日本では、博士取りたてでそのまま助教を始めたり、ポスドクだったりになる。そしてコレスポンディングオーサーをいつのまにか分け合い、明確な基準がないまま准教授になり、いつから独立なのかわからない状態が続き、教授になってようやく自由になると同時に次は自分の番だと、自分のテーマをやってくれる助教と准教授を募集し、論文成果を分け合う(労力を吸い上げる?)。どうせ助教で自由がないならポスドクになりたがる人がいるわけもないので、教授の外部資金などで自由に雇える特任助教などの聞こえのいいポジション作り出すなど都合のいいままに若者は振り回される。



いいなあ、海外の友人たちは自分の研究室を始めるのか〜


授業と指導で自分の手で研究できなくなっちゃうからポスドクを楽しんどけよってAssistant Professorが決まった人たち同士ではそういう声掛けをしている。。。


僕は来年は特任助教として雑用+教育+実験を自分のラボじゃないところでする。そんな自分には胸が苦しくなる会話である。



欧米は言うまでもないが、なんの疑いもなく中国やインドよりも若手の待遇が悪い国です、日本は。皆さん信じられますか?残念に思う人がどれほどいるかわからんが真実です。


助教として雇ってもらって幸せ?まじで目を覚ましたほうがいいよ。若手研究者たちよ。