助教とAssistant Professor
ポスドクの大部分の人は助教になりたいと思ってるはずです。
現在二箇所目のポスドクをやっているのですが、何人もの同僚たちが日本や母国で助教になっていきました。
他のブログなどでも指摘されていることかもしれませんが、日本の助教は海外のAssistant Professorの訳語なのですが待遇がかなり違います。一部の例外を除いて日本の助教は教授のお手伝いの仕事が主です。それを危惧した有力教授が、50%は本人の研究をさせるべきだと日本化学会の会誌「化学と工業」に提言をしておりました…
日本の有力な先生方は、海外との研究環境の違いを熟知されてると思っておりますが、苦言を呈する論説ですら「50%は」独自の研究をすべきだと仰ります。海外の教授たちがポスドクと博士課程の学生でしっかり研究を進めているのを知った上で自分は准教授や助教、時には特任助教まで雇い学生の指導、テーマの細かいすり合わせ、データの考察から論文のほとんどを執筆させ、自分はというと、それを修正や口出し程度で「自分の」研究と言ってそれを持って世界のご友人たちとよろしくやっているのです。
そんな先生方が、いざそう(50%は好きにしていいという状況に)なったとて助教の仕事を減らすでしょうか?この「50%」発言、間違いなく今の仕事量を半分の時間でやれ(そしたら半分好きなことできるよ?何でそうしないの?)と言ってるようにしか聞こえません。その50%の根拠として今すぐに海外のようなスタートアップのお金も用意できないし、大学運営の仕事量も厳しいし、日本の助教の研究力がすぐ独立できるレベルではないとあげていたように思います。
助教の公募は教授の先生がどういう人と仕事したいかに長らく焦点が当てられてきたと思います。最もコネが効くのは助教公募です。そして自分の言うことを聞かない人だとラボが機能不全に陥るので丁稚奉公系の助教が増えるのは自然の摂理です。
一方海外では助教からもう独り立ちなので、修行としてポスドク二箇所は普通に移ります。それぞれの場所で結果を出すことで、その後助教としてやってくれそうだということで同僚として迎えられます。このご時世にまだ学位取りたてほやほやで助教になるとか、日本のシステムが信じられません。たまたまテーマのいいラボの博士課程にいていい論文が出たといって、アカデミックの最低5年、下手したら任期無しの助教ポジションを与えるなんてギャンブルもいいところです。二箇所のポスドクである程度のアウトプットが出せることがいろいろな環境や人間関係での適応能力をしめしてていいんじゃないんでしょうか?(決して自分が2回ポスドクしてるからではない!、多分…笑)
さらに、そう言う目線で選ばれてないというのは、大きい影響力を持ちます。外国のポスドク仲間ができるまで、助教って雇ってもった先のテーマ(に近いこと)しかできないと僕自身無意識に思ってたので、自分自身の研究テーマは何かを深く練っていなかったのです。ところがジョブトークに向かう外国人ポスドクと将来の研究展望や、やりたい夢などを熱く語るうちに気付きました。日本の助教はこのジョブトークもないし教授一人に選ばれるで、外国で研究室立ち上げや研究費取得を間近に控えたポスドクとで日々の必死さも違ってくる!
そろそろいいじゃないですか、若い研究者も研究者は対等ならPIにしてくれても。お金的に厳しい?人材がいない?大学運営の危機?なんでこういうよくなるかもしれない方向は無茶しないのでしょうか?
運営費交付金削減、受け入れ先のないポスドク一万人計画、若手だけ任期付き教員にする、どっからどう見ても無茶はたくさんしてきたじゃないですか。
もう助教は教授の雑用みんなでボイコットすればいいんじゃないですかね?
それは言い過ぎにしても、もう少し日本の研究体制は年齢を均等にみた組織委員会で決められるべきじゃないでしょうか(オリンピックしかり…)。教授が全て決めていると、日本の若手は永遠に教授の手駒なんだろうなと思います。僕が教授で研究室運営するなら准教授や助教はいりません。共同研究したいラボが隣にある方が嬉しいですね。
こんなこと書いてたら助教になれませんよ?はい。すみません。ではまた。
写真はアインシュタインの隣が空いてる様子です。彼の近くで研究できちゃうようなポスト欲しいですね。
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