コロナ禍の少ない恩恵の一つである学会のオンライン化。学会は最近はあまり好きじゃないけどポスドクなので生存をアピールするのを含めて参加してみた。

もうこの年で学生の発表を楽しく聞けるほど人間はできてない、ほぼ全ての発表がつまらなかった。学術面での収穫はほぼゼロ(失礼)

いやーしかし。学生時代からの知り合いでアカデミアに残っている人は半分以上助教な年齢になってしまった。

気になるのは助教に進んだ同世代たちの研究だ。

なんか博士課程の研究の続きしてる人、多すぎないっすか?僕の中では博士課程のボスの研究の匂いをどう消して自分が独立して研究ができることを示すのが重要だと思ってポスドク道を邁進してきた。(むしろそうじゃないと助教になっても意味がないんじゃないかとも若干思う)

しかし同世代付近の7-8割くらいが、博士課程と同じ化合物だったり大きな目的だったりで研究をしているようだ。さらにそう言う人の方が出世が早い。共通する特徴の一つは博士課程の時そのラボの王道研究をやっていたことだ。まあ思えばそれもそうか、ボスの得意とする分野で学位をとって次のポストで結果を出して助教などへステップアップしているのだから、生存しやすいのかもそれない。

もっと酷いのは、一年差で同じラボで学位を取った人たちがそれぞれ別のラボに移って同じような研究を続け、もう完全に競合相手になっているのである。同門でばちばちやってて息苦しくないのか?まあ博士時代も入れればおおよそ10年同じ研究を続けているので、それなりの研究はできるだろう。だがしかし研究の醍醐味は博士課程のボスがライフワークにしてるような大きく複雑な問いを自分の手で見つけることじゃないかな。

受賞講演の退職が間近な先生とその周りは口を揃えて、「若者が結果を早くから求められすぎて流行りの研究しかやらない(できない)」とぼやいてた。実際そうじゃない人もいるけど、結果がある流行りの研究してる人(論文が出やすく、高IFジャーナルに掲載されやすい)を雇ってきたから若手がそれを目指すんだろうと言いたくなります。

オリジナリティを真摯に見つめる若手を採用すれば、自ずと論文数だったり無意味な高IF主義も沈静化する気がしますが…

研究者という仕事は、研究がオリジナルな方が良いものだと思っていた。はたして実際それはどうなのだろうか、教授の人は手駒としての側面で助教を見ていることの方が多いと感じる。

そういえば最近のアフリカゾウは牙がない個体が増えているらしい。立派な牙を持つものが密漁され、牙がないゾウが生き残るらしい。コレは人間の悪意が種の生存のバランスを崩壊させた例である。無論、牙が立派なゾウの方が健康で力のある個体なので種を残すのに適している、外的要因で比較優位じゃない方が良くなってしまった。

(上のお偉い人たちの発言は「最近のアフリカゾウは牙がなくて情けない」と密漁ハンターがおっしゃっている構図に近いんじゃないですかね?少なからずそうなる原因を作ったのは博士課程をでてすぐの人たちではない気がしますが)

本能的な生存競争が働かないところには人間のエゴがある。周りの私利私欲に飲まれて研究者が牙を持たない日も近いかもしれない。(もう手遅れ?)

また、博士課程の研究を自分で立案したと安易にいう人も多い。その気持ちで卒業したらその博士までの結果も含めて自分のオリジナルだと言うことなのかも知れない、当然自分の研究なので続ける権利があると思うのかも。オリジナルの敷居が低くなっている気がしなくもないですね。ちなみに最近スイスの今いるラボで芳香環拡張してπ*を下げるテーマは俺の考えたアイディアだと揉めた人たちがいた。。。アイディアという敷居が低すぎませんでしょうかね。。。

若手と研究テーマと独自性。難しい問題かもしれません。

僕はマンモスになりたい。