論文のエディターが自分の論文をどう扱ってくれるかは研究活動においておおきな違いを産む。


最近うちのラボで通ったJacsは1人ポジティブで、もう1人がスーパーネガティブだった。メジャーリビジョンで改訂して出したら1ヶ月の追加査読期間ののち何もなくするっと通ったのだ。おそらくスーパーネガティヴの人の2回目のコメントはエディターによって抹消されたのだろう。

結局エディターとの関係が良好だと、こういう場合で得をする。査読者もすんなりサジェストした人から選んでくれるだろう。

じゃー良好な関係を築けばいいだけか〜。でもどうやって?笑 いい研究論文を送るしかないんだと思う、ボスもずっといい研究論文を書き続けて最近ようやくこのレベルまできたみたいだ。積み重ねが重要だ。


エディターはジャーナルひいては化学会全体の未来を左右する重要な役目を担う。私利私欲で自分の分野やサイテーションを伸ばすような仕事をしてるエディターはかなりの害悪のはずだ。

でもエディター業務がどれくらいちゃんと行われてるかのフィードバックってかけられないよね。実際、えー、なんでーって思う采配も少なくないはずだ。

エディターと査読システムってはるか昔から変わらないけど、なんかもう少しいい方法ないんだろうか?エディターのバイアスがコンペティティヴな論文誌になればなるほど強い気がする。


業界全体的にまだまだ論文数を増やし続ける割に、面白いと思える発見がなくて最近あまり科学を楽しめてない気がしてきた。


うーん。もしかして、自分はアカデミアに向いてないかも?