くらすたあ
最近あったジョブセミナーで何を一番重要視してたのかをボスに聞いてみた。
なんて答えるかなと思ったら、「研究だ」と即答だった。特に、ビッグピクチャーをしっかり描けているかと、これまでのアウトプットの論文、また、ポスドク時や博士課程にやった研究と十分に違うこと。
この三つをスラスラと説明してきた。揺るぎない研究への信念。真っ直ぐである。
インド人はPhDラボがJacsエディターのやつが通るといい、デンマーク人は模擬授業が大切だと予想していた。
ボスとその仲良し教授たちは、ポスドクたちが思ってるよりも、純然として研究面を見ているようだった。
そして、現所属のポスドク先での論文が出ないうちは面接に呼ばれることはないよ、と自分の論文が遅いことをちくりと言ってきた…あいたたた。他に仕事が山積みだったんです…
さて、翻って日本。教授から准教授、助教まで同じラボ出身になったラボがボコボコできているようだ。びっぐらぼくらすたあと名付けたい。学位とってすぐに同じラボで助教をやる人もいたりして、人間の流動性はむしろここ数年逆行している様相すら感じる。自分の分野を見渡すと3〜4研究室という限られたビッグラボで学位をとった人ばかりになり、同じラボ出身者で固まったくらすたあ研究室がかなりの割合になってきている。
うーん。これで本当にこのタフな助教公募を戦った海外の若手たちと対等に渡り合える若手研究者が、ひいては未来の日本の学術の中核を担う研究者が出てくるのだろうか?
博士をとった先生の研究から離れ、世界一線級のスーパーバイザーの元でさらに短期でポスドクとしての結果を出し、広く欧米からアプライしてくるライバルたちと張り合うプロポーザルとプレゼン力を持ってそのポジションをとりに行き、何回も落ちてようやく一個の採用を掴む。
見ていると心がざわつく。海外でポジションを取る、または海外に認知してもらえる研究者になるには、そこに食い込んでいくことになる。
覚悟の質が違う。博士課程の先生が推薦するポジションに応募して、その応募先が自分のラボの先輩で引き締まるわけがない。くらすたあでも(いやむしろその方が)論文数が出るから気づかないかもしれないが、論文が出ているだけじゃあダメなのだ。教授に雇われて(という感謝の感覚で)コレスポとラストオーサーをずっと取られ続けてもなんも思わない様じゃあダメなのだ。助教として雇われる目のない海外ポスドクの嫉妬と思われても結構、この日本と海外の若手の覚悟の差に気がつくには、やっぱり海外に行かないといけないんだろうな。
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