さきげけは面接にも呼ばれませんでした。やっぱりきびしいですねえ。


実際に今回の申請で通ってもどこで研究をスタートするかを含め、不確定な要素が多すぎて評価者に対する訴求力が微妙だったかなと思います。あとこれまでのスーパーバイザーから独立した研究者になりたいので、これまでの内容と違う研究をしたいのですが、でもそうなるとほとんど予備的な実験ができなくて、日本ではかなり金やポジションをとるのが難しいことに気がつきました。


1ヶ月ほど前に出した助教公募も面接の連絡はないので、これも落ちてそうです。


研究できそうなギリギリのラインの大学の助教公募でこれなので、さきがけも落ちた今、日本で研究者として生き残る芽はかなり望みが無さそうです。残るは助教公募に片っ端から出して微妙な大学で研究ができずに任期が切れる可能性のあるポジションでもしがみつくかですが、40歳で無職になるリスクを冒して大学に残るよりは、ここがやめ時な気もしています。


そして帰国前に受け取った公募の情報では日東駒専レベルの研究室が、1年更新の5年上限なのに、1年以上の海外研究経験を条件としているのを発見した。なんで大した研究環境もない中で、1年更新で若手が海外経験を持って不安定な身分で働かなければならないのか。旧帝国大学の助教ですら半分も一年以上の海外経験はない気がします。海外に出た人は行き場がないので、安く買い叩けるってことでしょうか?



海外学振になれたことで慢心してたとは思いたくないのですが、大学で「生き残る」という事の難しさを過小評価していたきがします。海外学振≒助教候補の最上位だと思っていた部分があるのは否めません。


その海外学振の任期も近づいてきます。ボスにも今回の帰省で、家族と今後のことをよく話し合っておく様にと言われてます。


若手を取り巻く環境が改善されると一縷の望みに託し、ポスドクとして踏ん張ってきましたが、もうそろそろ限界かもしれません。学位をとって2、3年が本当に重要なのに、その間、日本の研究環境は悪化する一方。


さー、次はどんな仕事をしようか?大学の道をそれても面白いと思える道はいくらでもある。最後にアカデミアを去って大学以外の就職活動を始めるまで、もう少しだけ気持ちを整理する時間が必要な気がします。


スイスに帰ったら数日アルプスでも行こうかな