私、絶賛ゆとり世代のど真ん中です。ゆとり世代でよかったと思います。なぜか、ケータイやネットが発達してない時代に小学校生活を送り、中学から徐々にゲームやネットの急激な普及を体験して土曜日は休み。自由に時間を使い、いろいろなことを見たり聞いたり経験してきた。


僕は熱心にはやってなかったが、mixiやニコニコ動画などで、趣味の合う人を見つけることができるので、無理をしてまで現実で友人関係を築く必要もなくなってきた世代であるとも思います。


ニコニコ動画のYoutubeと違う良い点は、広告収入がないので、商業目的はなくて、すごーくくだらないコンテンツをワイワイ楽しめるところだった気がします。いろいろな素人の動画をみんなで楽しんだのが今でも懐かしい。取って代わったYoutubeは商業色が強すぎて、色んな人が似たコンテンツをカネ目的で出すので面白いものが見つけにくくなってると思う。


ゆとり世代は、自分のしたいことに敏感で、上の人からの評価を大して気にしない(したくない)世代だと思ってる。あまりお金や権力に執着がなく、面白いものや、やりたい事に大きくリソースをさく。そのおかげでサッカーの代表も強かったし、野球選手もスターがたくさんいる。海外で活躍する人材も他の世代より多い気がする。今の20代前半はゆとり世代よりサッカーも野球も弱くなってきて無いか…?


一方で、他人の期待に応えるのが難しい世代でもある。上の人が引っ張り上げようと必死だったハン○チ王子や、広告代理店などが流行らせようと必死に仕組んだコンテンツなどはこの世代ではうまく働かない。


そう言う強者の論理が弱くなり、大企業がボロボロになったのもゆとり世代がそういった企業の担い手に適していないのもある気がしている。


そして研究者としての人生をゆとり目線で考えると、競争が激しくて、生き残るヴィジョンは簡単には描けなくて、人生をかけるにしては、見返りがあまりにしょぼい気もしてきている。何より他者からの評価の圧力が凄すぎる。


旧帝大クラスの助教公募とか、さきがけとか、難しい公募を勝ち抜き続けて40超えたあたりでようやく自分の研究室を手にする。そうでない限りは、好きなことをやれない。だけどその評価はしばしば納得いくものではなく、上の世代(だけ)が決めるのだ。


どうせリスクを取るなら、スタートアップとか、海外で働くとか、クリエイティブでもっと評価が公平な道がいくらでもあったことに気づく。

講座制の研究室はゆとり世代には適していない気がしてきた。

そもそも自分からゆとり世代になったわけでも無いし、ゆとらさせられ世代に名前変えていただきたい。そしてそうするように決めた上の世代たちに、「ゆとり世代は…うんぬん」と、とやかく言われるのはなんか釈然としないものがある。っと思うゆとりおっさんポスドクでした。


やっぱりアカデミアはやめて方向転換しようかな…って急速に思いつつある。


次回に続く。