インド人ポスドクと各国でのポスドクというキャリアの捉え方の違いを話した。


インドでは研究大学でPI助教(海外で言うアシスタントプロフェッサー)になるには、最低3年の海外ポスドク経験が応募する上での必須項目になるらしい。中国や他の国でも、アシスタントプロフェッサーを目指すにはほとんどの国で海外研究経験が必要になってくると思われる。近年インドのジョブマーケットは混迷を極め、かなりの倍率をくぐり抜けなければ研究ができるクオリティの大学はいけないらしい。


例外はアメリカくらいだろう。イギリス人でも結構外国でポスドクをやる。アメリカ人はほとんど国内から出ない。MITからCaltechなど一流どころがたくさんあるし、海外からゴロゴロ優秀な人材が集まるので、海外に出ずとも国際的なコミュニティができあがあるためだと考えられる。しかしいかにアメリカでもアシスタントプロフェッサーになるには数年のポスドクは必須である。



日本のポスドクの捉え方は悲惨である。



メジャーになったポスドク問題。

個人的には、二つの問題があると思う。


1.ポスドクの人数増えすぎ問題

これは、大学院重点化で増えた博士の数に対し、大学企業共に基礎研究費削減したことを受け、たくさん生産された博士たちは、大学や企業の無期雇用職につけずに、増えた競争的資金で雇われるポスドクが大量に発生した。そして大学の基盤費削減と共に職員の削減が始まった。増えたポスドクと減ったポスト。こういう事になるのは算数並みに簡単だ。主に日本でポスドク問題というとこちらのみを示す。



2.トレーニング期間としてのポスドクの軽視

こちらは、日本のポスドク問題ではほとんど出てこない議論だ。すぐ若手の待遇改善に十把一絡げに「長い任期を」と言う人がいるが、個人的には賛成しない。ポスドクで複数箇所の研究機関で結果を出した人に長い任期を得る機会を与えるべきだ。

ポスドクはトレーニング機関として非常に重要だ。どこで、どんな研究で、誰のもとでポスドクをしたかは、アシスタントプロフェッサーになる時に海外では大きなファクターになる。自分もポスドクトレーニングがなく、5-10年の助教を博士課程後すぐに始めていたら、着任した教授のテーマに従わずを得ず、海外の知り合いもほとんどいなくて永遠に埋もれてしまっただろう。(別に今も埋もれてるけど…)

でも日本だと助教になるのに海外はおろかポスドク経験はいらないのである。そして、助教はPIじゃなく教授の手伝い。過去の職位で言う助手。まさに名前は変われどお手伝いさんなのである。



このガラパゴスシステムが若手が海外でバリバリとしのぎを削る機会を削ぐ。早く助手になってそれを抜けてラボを持ちたいと、速攻で助教になる選択を急がせる。


ポスドクの日々は身がヒリヒリする、間違えれば人生が台無しになるのが容易に想像できる。海外の若手たちがこれを乗り越えて経験を活かしてぐいぐいと自分のラボをPIとして始めるのだ。日本の科学が現状のシステムでこれに追いついて日進月歩の研究の世界で渡り合えるわけがない。



海外でのポスドクは重要なのだ。

ブログ初期は海外ポスドクをみんなに薦めたいほど幸せだった、でも最近は現実を見ると後輩にはもう薦められない気がする。日本のシステムでは、海外ポスドクを評価する流れはない。職探しに困らないコネのある方、海外で助教になる大志を抱く方、圧倒的優秀で引くて数多な方以外は相当痛い目にあう可能性がある。自分より業績がない人が大量に助教になるのをみながら、海外で論文になるのが遠い難しい研究をする。

そんな経験が無価値だなんて、信じたくないけど今の日本のシステムだとそんな気がする。



助教をPIに、そして海外でとは言わないせめて国内ポスドクでの研究結果の提示を必須にしないと、人材が育たず海外と戦えるわけない。雇ったポスドクが結果を出す前に別の場所で助教になるパターンも防げて日本の教授たちにも悪いことではないと思う。


最近のナイステップの評価では若手研究者の待遇改善は大きく進んだらしいが、肌感覚ではそんな事全然感じない。博士課程の金を出すだけじゃ解決しない、科学の凋落の原因がこのガラパゴスシステムにあるのは、ほぼほぼ間違いない。


本日は土砂降り、冷戦前に建ったうちの化学棟では数カ所雨漏りがしてた。建物は立派で中身のない母国と、こんな雨程度で雨漏りする建物で行われる身のある研究。そんなかんじ。