日本にいた時の指導の先生などが結構な頻度で口にしていた、日本は大学が多すぎる、Fラン大学なんてつぶしてしまえという議論。


こちらでであったバイオ系の日本人のポスドクの人も言ってた。大学に行かせないで職業訓練校にぶち込めだとかいっていた、自分が恵まれたキャリアを歩んだからといえほかの人の選択にケチをつけるなんてなんて魅力がない人間だと思ったのだ。


僕はそうは思わない、大学で自由に学ぶ時間(授業じゃなく課外での活動もふくめ)にこそ日本の次の産業を担う自由闊達な発想を持つ若者たちが育つと信じている。

さて、この狭い了見を考えていこう。よく言われるFラン大学に補助金をやるのが無駄、理論がある。さて、確かにFラン大学と呼ばれてしまっている大学にも数億円の公的資金が使われていうのはちょちょっとググると出てくる。だが、そういう記事は分断を助長するために書かれているのは明白だ。この補助金はそれらの大学の運営費の10%しかない、これらがなくなっても運営に致命的な影響などはないとよそうされ、そういう大学にすらまだ身銭を切り高い私立大学の学費を払ってでも大学に行きたい層がいるのである。


かつ、大学進学率はOECDのなかでスイスやドイツなどの例外を除き、平均値の60%よりも10%ほど低い50%なのである。


そういう話をして反論していたら、その人はスイスみたいに早めに職業訓練校にいれてうまくいく社会があるんだからいいじゃないかとおっしゃっている。確かに、スイスだと大学に行くかどうかの判断はかなり早い時期にされる9年間の義務養育ののち大学進学の普通高校と職業訓練学校に分かれるのだ、大学進学率は20%。中学卒業時に自分の進路を決めないといけない。大概、親の意向が強く働くらしくてそのシステムのほうがいいとは自分には思えない。日本だと親がどんな思想を持っていようが、普通に大学に行って活躍したいと思えればそうできるのがいいところである。スイスの大卒の人(なんなら博士進学者がほぼすべて)にしかあってないから、本当にその早期の選択が大学に行かなかった人の幸せにつながっているかは僕にはわからない。


まあ、普通に考えて優秀な外国人が世界から集まってきて、金融や製薬で小国には考えられない富を持つスイスのシステムが日本でできるわけないんだよなあ。


ただ、嘆くべきはFラン大学と呼ばれてしまっている大学の教育の質だろう。高い金を負担していくのに、高校の復習のような講義がほとんどの大学は実際にあるのは間違いがないと思われる。もっといい教育をできるようにシステムの改善を考えずつぶせと言い続けると、すべてが崩壊していくんじゃないかなあ。


大学の先生もよっぽど質の悪い人は入れ替わりを促進したほうが、大学間の競争や若者の教育の観点からはいいんではなかろうか。


まぁ何がいやって、いい大学の先生や海外で研究をする恵まれた立場の人が対して調べもせずにこういう気品のない発言をすることに絶望に近い感情が浮かぶ。教養主義のかけらもない貧相な心の貧しい人が多すぎやしないだろうか。



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